大阪出張前乗りー第1章(京都~大阪編)

ご無沙汰しております。常総事業所の山本です。

先週の話ですが…

4月15日の朝から大阪で業務があった為、4月14日の日曜日に大阪に前乗りしました。

大阪に前乗りということはやる事は一つ・・・ズバリ大好きな京都のお寺巡り!!笑

と言うことで京都のお寺を弾丸ツアーしてきました。

京都駅からスタート(もちろん徒歩移動です)

その前に京都ヨドバシの中に入っている炭火和くらさんでご飯を!

それがこちら!焼き魚定食(^^♪

これを急いで食べて、弾丸ツアースタート!

京都駅から京都ヨドバシを抜けて烏丸七条交差点を右に曲がり鴨川方面を目指します。

七条大橋を渡ります。

七条大橋から見る鴨川の何とも風流なこと。ここを横目にどんどん歩きます。

そしてやっとたどり着いたのが、大人気の血天井で有名な養源院!

え!?養源院を知らない??

分かり易く言うと、このお寺は三十三間堂‘(蓮華王院本堂)の目の前にあるお寺ですが…

そうなんです。私はマニアックなお寺?建造物?が好きなのです!笑

門から見える境内の風景に引き込まれていきます。

おそらくこの景色は数百年前から変わらず、この景色だったと思います。

養源院の入り口まで来ました。

徳川家ゆかりの葵の御紋が目を引きます。

養源院について少々説明を…少し長いですがお付き合いを。

養源院(ようげんいん)は、京都市東山区三十三間堂廻り町にある浄土真宗遣迎院派の寺院。山号は南叡山。本尊は阿弥陀如来。三十三間堂の東向かいに位置する。養源院の寺名は浅井長政の院号から採られた。もとは天台宗であった。「血天井」「宗達寺」の通称で知られる。
文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政、祖父・浅井久政らの二十一回忌の供養のために秀吉に願って創建された[1]。養源院とは浅井長政の院号であり、浅井氏の菩提寺である。開山は浅井氏の庶流にあたる比叡山の僧成伯法印(伝・長政弟)で、秀吉が寺領300石を寄進している。この後、毘沙門堂の脇門跡となっている。
元和2年(1616年)5月7日、江戸幕府第2代将軍徳川秀忠正室の崇源院(江、淀殿の妹)によって、昨年の慶長20年(1615年)5月に大坂夏の陣で自害した淀殿とその子・豊臣秀頼の菩提が弔われている。
元和5年(1619年)、落雷により焼失したが、元和7年(1621年)に崇源院の願により再興された。以後、徳川氏の菩提所ともなった。廊下の天井は、伏見城落城の際、自刃した武将たちの血のりのしみた板を使った「血天井」として有名である。本堂の襖12面、杉戸8面の絵(重要文化財)は俵屋宗達の作品である。
(ウィキペディアより抜粋)

元々は豊臣秀吉が建立したお寺ですが、落雷により焼失した後に再興され徳川氏の菩提所となっています。またお寺内部は撮影禁止だった為、内部の写真はありませんが、俵屋宗達の白象図、唐獅子図や血天井が間近で見ることが出来ます。それだけでもここに来た価値がありました。因みに拝観料は600円です。

そしてせっかくなので、もう何度見たか分からない三十三間堂も見てきました。

これが三十三間堂の内部の仏像群ですが…三十三間堂内部は撮影NGなので

外の壁に掛かってあった写真を、それ風に拡大して撮りました。

元の絵はこちら!笑

三十三間堂も大好きなお寺です。

三十三間堂を回ったところで、急いで大阪に戻ります。

夜にある方とお食事のお約束をしておりました!

それがこちらの写真!!

写真真ん中のGファクトリーの三嶽社長と右側の総合請負サービスの柳さんと、左側が私です。3人で初めてのお食事会で美味しいお酒と、美味しいお魚をご馳走して頂きました。また当日は延々と、私のお寺の話にお付き合い頂き誠に有難う御座いました。

次は一緒にお寺(私のとっておきのお寺)を回れればと思います!笑

大阪出張編2章へつづく!!

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